
概要
BLANKEY JET CITY
概要
BLANKEY JET CITY(ブランキー・ジェット・シティ)は、日本のスリーピースロックバンドです。略称はブランキー、BJC。浅井健一(愛称:ベンジー、ボーカル・ギター)、照井利幸(ベース)、中村達也(ドラムス)の3人で構成され、1990年にテレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』で第6代グランドキングを獲得。1991年にアルバム『Red Guitar And The Truth』でメジャーデビューし、2000年に解散しました。1990年代の日本のロックシーンに大きな影響を与え、解散後も高い評価を受けています。
来歴
結成からデビュー(1980年代〜1991年)
1980年代、名古屋で浅井と照井がスキャッツというバンドで活動し、その後浅井が上京して友人の中村と活動を共にしました。中村の所属するF.O.A.Dのツアーに運転手として雇われた浅井が名古屋で照井と再会し、照井も上京。1990年2月に「THE BLANKEY JET CITY」を結成しました(結成当初は別のドラマーがおり、中村はマネージャーでしたが、3人のセッションで手応えを得て正式加入)。なお、1987年に愛知県で結成されたとする記述もあります。 1990年8月4日、中村の提案で「イカ天」に出演。「CAT WAS DEAD」「MOTHER」「不良少年のうた」「僕の心を取り戻すために」「狂った朝日」を演奏し、5週連続勝ち抜きで第6代グランドイカ天キングとなり、東芝EMIと契約しました。デビュー前には山本耀司のパリコレのモデルやウォークマンのCMにも出演しています。 1991年4月、ロンドンで録音したデビュー・アルバム『Red Guitar And The Truth』をリリースし、オリコン初登場8位。不良少年や崩壊した家庭、顧みられない子供の痛みを題材とした作品で、山本耀司がパリコレの宣伝に用いました。プロデューサーJEREMY GREENとは意見が合わず、不満の残る仕上がりだったといいます。6月には神宮プールの「東京コレクション」に登場し、デニス・ホッパーと同じステージに立ちました。
1992年〜1995年
1992年1月、2ndアルバム『Bang!』をリリース。土屋昌巳がプロデュースを担当し、「RAIN DOG」「SOON CRAZY」「ディズニーランドへ」などの代表曲を収録、オリコン初登場7位を記録し、音楽誌の年間ベスト・アルバムを多数受賞しました。2月にはミュージックステーションに初出演し「冬のセーター」を演奏。9月には5月4日の渋谷公会堂公演を収めたライブ・アルバム『Live!!!』を発表し、11月には「悪いひとたち」を事務所「東京ピストル」からシングルリリースしました(歌詞の「麻薬」の語のため東芝EMIからは出せませんでした)。 1993年2月に3rd『C.B.Jim』(全曲が同じ架空の人物を題材にしたとして評価)、12月にミニ・アルバム『Metal Moon』を発表。1994年5月に4th『幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする』をリリースし、この頃バンド名から「THE」が外れました。12月に初の日本武道館公演を開催。1994年10月26日にはロンドンで初の海外ライブを行いました。 1995年3月にベスト・アルバム『THE SIX』を発表。6月のロンドン・ツアーで一度は解散を決意したものの、8月に代々木公園野外ステージで行ったフリーライブ「Are You Happy?」が13000人を動員する会心の出来となり、解散の予定は消滅しました。11月に5th『SKUNK』をリリースし、本作を最後に土屋昌巳のプロデュースを離れました。
ソロ活動期から解散まで(1996年〜2000年)
1996年、各メンバーがソロ活動を開始。浅井は「SHERBET(後にSHERBETS)」とインディ・レーベル「Sexy Stone Records」、照井は「Joe Brown」、中村は「LOVE SHOP LOSALIOS(後にLOSALIOS)」で活動しました。1997年にはポリドールへ移籍し、初のセルフプロデュースとなる6th『LOVE FLASH FEVER』を発表しました。 1998年1月に東芝EMI時代の曲を集めたベスト『国境線上の蟻』と「赤いタンバリン」、6月に「小さな恋のメロディ」と7th『ロメオの心臓』(発売1週間で30万枚以上)、8月に「ダンデライオン」、11月に「SWEET DAYS」をリリース。1999年には「Pepin」を発表し、再びソロ活動期に入りました。 2000年は沖縄とロンドンでレコーディングを行い、4月に「SEA SIDE JET CITY」をリリース。5月10日、8th『HARLEM JETS』の発売と同日に朝日新聞広告上で「最高のアルバムが出来たのでおれたちは解散します」と解散を発表しました。アルバムは自己最高のオリコン初登場2位。7月5日にラストシングル「SATURDAY NIGHT」を発表し、7月8日・9日に横浜アリーナで最後のワンマン「LAST DANCE」を開催。7月28日には「FUJI ROCK FESTIVAL '00」で日本人アーティスト初のGREEN STAGEヘッドライナーを務め、これが実質的な最後のライブとなりました。9月にラスト・ライブの作品(CD・LP・VHS・DVD)、10月にベスト『BLANKEY JET CITY 1991-1995』『1997-2000』をリリースしました。
解散後
2003年、HMVの「Top 100 Japanese pops Artists」で73位に選出。2008年に過去のアルバムをSHM-CD・紙ジャケットで再発し、未発表曲集の発売が発表され、2009年1月に『RARE TRACKS』『MONKEY STRIP ACT2 (Live)』が発売されました。2012年にラストツアーの映像を再編集した劇場版『VANISHING POINT』の公開を発表し、2013年1月26日に期間限定公開、1月30日にDVD・Blu-rayを発売。3月27日にはシングル曲を網羅した『COMPLETE SINGLE COLLECTION 『SINGLES』』を発売し、「BJCキャンペーン」として過去作の再発も行いました。2024年7月2日には公式YouTubeチャンネルと公式Xアカウントが開設されました。
音楽性
ロカビリー、パンク・ロック、ガレージロックなどを融合したバンドサウンドと、都会的な孤独やアウトローの世界を描いた文学的な世界観が特徴です。ほぼ全ての楽曲の作詞・作曲は浅井健一が手がけました。個性の強い3人が激しくぶつかり合う音楽性を持ち、1994年作はジャズ色が濃く、1997年の『Love Flash Fever』はサーフロック的なサウンドでした。
評価・影響
JIRO(GLAY)、椎名林檎、大貫亜美(PUFFY)、常田大希(King Gnu)、白井眞輝([Alexandros])ら多くのミュージシャン、詩人の最果タヒ、画家の奈良美智、タモリ、二宮和也ら芸人・俳優が影響やファンであることを公言しています。タモリは『笑っていいとも!』で「再結成して欲しいバンド」として名前を挙げました。
メンバー
- 浅井健一(1964年12月29日生、愛知県出身):ボーカル、ギター。SHERBETS、AJICO、JUDEなどでも活動
- 照井利幸(1964年2月28日生、愛知県出身):ベース。Joe Brown、ROSSO、RAVENなどで活動
- 中村達也(1965年1月4日生、富山県出身):ドラムス。LOSALIOS、FRICTION、Twin Tailなどで活動
ディスコグラフィー

COMPLETE SINGLE COLLECTION 『SINGLES』
20 tracks

RARE TRACKS
12 tracks

MONKEY STRIP ACT2 (Live)
14 tracks

BLANKEY JET CITY 1997‐2000
19 tracks

LAST DANCE (Live at 横浜アリーナ / 2000年7月8日)
23 tracks

SATURDAY NIGHT
2 tracks

HARLEM JETS
11 tracks

SEA SIDE JET CITY
3 tracks

Pepin
3 tracks

SWEET DAYS
2 tracks
