
概要
沢田研二
概要
沢田研二(さわだ けんじ、1948年6月25日 - )は、日本の歌手、俳優、ソングライターです。愛称は「ジュリー」で、ジュリー・アンドリュースへの憧れに由来します。1960年代後半のグループ・サウンズ全盛期にザ・タイガースのボーカルとして人気を博し、PYGを経てソロとして活躍しました。ソロのシングル総売上は1,241万枚で、1982年から1991年まで9年間歴代1位を保ち、ザ・タイガース、PYG時代を含めたシングル総売上は1,668万枚に上ります。妻は女優の田中裕子です。
来歴
生い立ち
1948年6月25日、鳥取県岩美郡津ノ井村(現・鳥取市)に生まれ、3歳から京都で育ちました。京都府立鴨沂高等学校に入学しましたが2年生で中退しています。少年時代はプロ野球選手に憧れ、中学では野球部のキャプテン(一塁手)を務めました。
ザ・タイガース期
京都のダンス喫茶でドアボーイをしていた頃に声をかけられ、17歳でローディー兼ボーカリストとなり、サリーとプレイボーイズに加入後「ファニーズ」と改名。渡辺プロと契約し、すぎやまこういちによって「ザ・タイガース」と名付けられました。1967年2月5日にシングル「僕のマリー」でデビューし、「シーサイド・バウンド」「モナリザの微笑」「君だけに愛を」でGSの頂点に立ちました。1968年にはビージーズのバリー・ギブが楽曲を提供し、「Smile for Me」が日本でヒットしました。同年8月12日の後楽園球場「真夏の夜の祭典」は日本初のスタジアムコンサートです。1969年3月には『ローリング・ストーン』(Vol.28)の表紙を飾りました。1971年1月24日、日本武道館でのコンサートをもってグループは解散しました。
PYG期
1971年2月、井上堯之、大野克夫、萩原健一、大口広司、岸部修三らとスーパーグループPYGを結成し、沢田と萩原のツインボーカルで本格的なニューロックを目指しました。4月に「花・太陽・雨」、7月に最大のヒット「自由に歩いて愛して」を発売しましたが、大手事務所所属のミュージシャンによるロックへの反発から、コンサートでトマトや空き缶を投げられることもありました。
ソロ活動の開始と全盛期
1971年11月1日「君をのせて」でソロデビュー。加瀬邦彦のプロデュースのもと、1972年「許されない愛」で初のオリコントップ10入り(4位)を果たし、他のPYGメンバーは井上堯之バンドとして沢田のバックを務めました。1973年「危険なふたり」で初のオリコン1位と第4回日本歌謡大賞を獲得、1974年「追憶」で2曲目の1位となりました。同年7月、日比谷野外音楽堂を皮切りに日本初の全国ツアー「Julie Rock'nTour」(16都市34公演)を開催し、以後2019年まで毎年全国ツアーを行いました(2020年は全公演中止、2021年から再開)。
1975年には英仏などヨーロッパに進出し、「巴里にひとり」(仏語版「MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE」)がフランスで20万枚のヒットとなり、日本人初のフランスゴールド・ディスクを受賞しました。同年6月に伊藤エミと結婚(1987年離婚)。8月発売の「時の過ぎゆくままに」は5週連続1位、90万枚超でソロ最大のヒットとなりました(ドラマ『悪魔のようなあいつ』挿入歌)。1976年は不祥事により1か月謹慎し、紅白歌合戦や賞レースを辞退、12月に武道館で初のソロコンサートを開催しました。1977年「勝手にしやがれ」は5週1位となり、第19回日本レコード大賞(視聴率50.8%)、第8回日本歌謡大賞など主要な賞を独占しました。
ヴィジュアル路線
1977年「さよならをいう気もない」の金色のキャミソールを機に、ヴィジュアル重視のスタイルを強めました。1978年は「サムライ」「LOVE(抱きしめたい)」「ダーリング」が大ヒットし、「ダーリング」で日本有線大賞と5曲目のオリコン1位、「LOVE(抱きしめたい)」で第20回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。第29回NHK紅白歌合戦ではロック・ポップス歌手初の大トリを務めました。1979年「カサブランカ・ダンディ」ではウイスキーを吹く演出が話題となり、1980年「TOKIO」では電飾スーツと巨大パラシュートで歌唱しました。同年1月24日に井上堯之バンドが解散し、後にオールウェイズ、EXOTICSを結成。「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」は自作曲シングル最高の36万枚を記録しました。
1981年1月にはザ・タイガースが瞳みのるを除くメンバーで再結成し、「十年ロマンス」「色つきの女でいてくれよ」(約42万枚)を発売、全国ツアーも行いました。第34回紅白歌合戦では「晴れのちBLUE BOY」で金杯を獲得しました。
俳優活動
1979年の映画『太陽を盗んだ男』で報知映画賞作品賞・主演男優賞を受賞し、日本アカデミー賞主演男優賞にノミネートされました。1981年『魔界転生』では天草四郎役で主演し、観客動員200万人を記録。ポール・シュレイダー監督『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』(1985)、三池崇史監督『カタクリ家の幸福』(2002)にも出演しました。1989年に共演を機に知り合った田中裕子と結婚。2023年には第77回毎日映画コンクールで男優主演賞を受賞しました。
音楽性
1970年代後半はグラムロック、1980年代初頭はニューウェイブ的なポップスで日本に旋風を巻き起こしました。派手な衣装とメイクでファッションの革新者と評され、作曲も手がけ、三味線も演奏します。ジャンルは歌謡曲、演歌、J-POPにまたがります。
