
概要
RCサクセション
概要
RCサクセション(RC SUCCESSION)は、忌野清志郎を中心に1968年に東京で結成された日本のロックバンドです。「King of Rock」「King of Live」の異名をとり、「日本語ロック」の成立や、現在一般的なロック・コンサート、ライブ・パフォーマンスのスタイルの確立に大きな影響を与えました。忌野と小林和生が唯一の不動のメンバーでした。1991年1月から無期限活動休止に入ったまま復活することはなく、2009年に忌野が死去したことで事実上解散となりました。
2003年にはHMVの「日本のポップス・アーティスト100」で16位、2007年9月にはローリングストーン誌日本版の「日本のロック・アルバム100選」で1980年のライブ盤『RHAPSODY』が2位、1988年の『COVERS』が41位に選ばれました。『COVERS』は2009年のBounce誌「日本のスタンダード・ロック54」でも1位となっています。
来歴
結成からフォーク期
1966年、ピーター・ポール&マリーやジョーン・バエズらの影響を受け、中学の同級生だった忌野・小林・破廉ケンチの3人でフォークグループ「ザ・クローバー」を結成しました。1967年に解散し、「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー」として活動。1968年に「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー・サクセション」の省略形から「RCサクセション」と命名しました。1969年にTBS『ヤング720』のオーディションに合格し、東芝主催の「カレッジ・ポップス・コンサート」で第3位となって東芝音工にスカウトされました。1970年3月5日、シングル「宝くじは買わない」でデビュー。1972年には3rdシングル「ぼくの好きな先生」がヒットし、1stアルバム『初期のRCサクセション』を発表しました。忌野が井上陽水と共作した「帰れない二人」を収録した『氷の世界』(1973年)は、日本初のミリオンセラーLPとなりました。
暗黒期
1974年、マネージャーの事務所独立騒動に巻き込まれて仕事を干されました。1976年にポリドールへ移籍して『シングル・マン』をリリースしますがまもなく廃盤となり、キティ移籍後のシングル「わかってもらえるさ」以降は活動を停止しました。破廉は精神的に不安定になってギターが弾けなくなり、1977年に脱退します。矢沢永吉や井上陽水の前座に出演して観客から罵声を浴びることも少なくありませんでした。
復活とブレイク
1978年、仲井戸麗市と春日博文がサポートで参加し、新井田耕造が加入。フォークからロック/R&Bへと変貌し、忌野は逆立てた髪、派手な衣裳、どぎついメイクでステージに立つようになりました。1979年に仲井戸が正式メンバーとなり、ジョニー、ルイス&チャーの前座で初めて日本武道館に立ちました。『シングル・マン』は音楽評論家らの再発実行委員会により限定再発されました。
1980年、「雨あがりの夜空に」の発売記念として渋谷「屋根裏」で4日連続公演を行い、動員記録を樹立。久保講堂でのライブ盤『RHAPSODY』は半年以上のロングランヒットとなりました。「トランジスタ・ラジオ」もこの年の代表曲です。小川銀次が脱退し、Gee2woが正式メンバーに。1981年には初の日本武道館単独公演を行い、以後10年連続で武道館クリスマスコンサートを開催しました。1982年には坂本龍一との「い・け・な・いルージュマジック」が資生堂のキャンペーンソングとしてヒットし、同年に横浜スタジアムでサム・ムーア、チャック・ベリーらと「THE DAY OF R&B」を開催。ロンドンレコードに移籍し、自身のレーベル「BARCA」を設立しました。1983年『KING OF LIVE』、1984年『FEEL SO BAD』、1985年『ハートのエース』を発表し、1985年には事務所「りぼん」から独立して個人事務所「うむ」を設立。1986年にライブ盤『the TEARS OF a CLOWN』、1988年に『MARVY』をリリースしました。
1988年、東芝EMIから発売予定だった「ラヴ・ミー・テンダー」とアルバム『COVERS』が歌詞の問題で発売中止となり、反戦・反核の曲をめぐる圧力があったとされます。2か月後の8月にキティレコードから発売され、RCとして初のオリコンアルバムチャート1位を獲得しました。1989年のHARD TIMES LIVEツアーは未発表の新曲中心で行われ、ステージ上で「録音自由化」を宣言しました。
活動休止とその後
1990年にGee2woと新井田が脱退。春日博文と厚見玲衣を迎え、9月27日に『Baby a Go Go』を発表しました。同年12月25日の日本武道館公演が最後のコンサートとなり、1991年のツアーはすべてキャンセル、1991年1月に無期限活動休止に入りました。その後、忌野と仲井戸はソロで活動しながら交流を続け、1994年には「忌野清志郎&仲井戸麗市」名義でアルバム『Glad All Over』を発表しました。忌野は2009年5月2日に癌のため死去しました。その後も2005年に『ラプソディー ネイキッド』(1980年久保講堂ライブ)、2015年『KING OF BEST』、2016年『KING OF LIVE COMPLETE』、2020年『COMPLETE EPLP ~ALL TIME SINGLE COLLECTION~』などが発表されています。
音楽性
歌謡曲、Jロック、Jポップに分類されます。初期はアコースティック編成ながら、ヘヴィ・ゲージの弦を叩くようにかき鳴らし、R&Bやロックに近い楽曲を演奏しました。1970年代後半にはエレキ化し、グラムの影響を受けた外見も特徴となりました。忌野が作詞・作曲した曲をバンドでアレンジして演奏するスタイルは、1970年代初期には異例でした。時期によって仲井戸、小林、Gee2woとの共作もあり、『BLUE』以降は仲井戸が作詞・作曲・ボーカルを担当する曲が1枚に1曲以上収録されました。忌野の独特の高く震える声と時事性のある巧みな歌詞が魅力で、梅津和時らによるホーンセクション「ブルーデイ・ホーンズ」も参加しました。反戦・反核やチベット解放への支持など、社会的発言やチャリティ公演でも知られています。
ディスコグラフィー

COMPLETE EPLP ~ALL TIME SINGLE COLLECTION~
42 tracks

SUMMER TOUR ’83 渋谷公会堂 ~KING OF LIVE COMPLETE~
19 tracks

KING OF BEST
19 tracks

悲しいことばっかり (Live)
21 tracks

ラプソディー ネイキッド (Live At 久保講堂 / 1980 / Remastered 2021)
19 tracks

Baby a Go Go
11 tracks

PLEASE
11 tracks

BLUE
8 tracks

コブラの悩み (Live)
12 tracks

COVERS
11 tracks
