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Tetsuya Komuro

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概要

小室哲哉

概要

小室哲哉(こむろ てつや、1958年11月27日 - )は、東京都府中市出身のミュージシャン、音楽プロデューサー、キーボーディストです。ダンスミュージックを日本の大衆に広めた存在として知られ、日本の音楽史上最も成功したプロデューサーと評されています。プロデュースした作品の総売上は2008年時点で1億7000万枚以上、作曲したシングルの総売上は4200万枚を超えます。1996年4月にはオリコンシングルチャートの上位5位を作詞・作曲・プロデュースで独占する世界記録を樹立し、1995年にはJASRAC賞の著作権分配上位3位も独占しました。かつては東京・六本木のディスコ「ヴェルファーレ」のオーナーも務めました。

経歴

学生時代

3歳から12歳まで東京芸術大学教授のもとでヴァイオリンを学び、音感の基礎を培いました。小学5年生のときに母が購入したエレクトーンで鍵盤楽器と出会い、ピアノは独学です。1970年の日本万国博覧会で冨田勲のシンセサイザー演奏に衝撃を受け、中学生のときに家族に無断で楽器を売り、ローランドSH1000を購入しました。この頃に渡辺美里「My Revolution」など、後に提供する楽曲の雛型を約20曲作曲しています。早稲田実業学校高等部から早稲田大学社会科学部に進み、在学中にプロとして活動を始めましたが、授業料を楽器代に充てたため除籍となりました。その後はバックバンドやスタジオミュージシャンを務め、デモテープがきっかけでTM NETWORKのデビューへとつながりました。

1979年〜1994年:初期とTM NETWORK

1979年にSPEEDWAYのキーボーディストとして活動を開始。1984年に宇都宮隆、木根尚登とTM NETWORKを結成しました。1985年にアニメ映画『吸血鬼ハンターD』のサウンドトラックで初のソロ作品を発表し、以後『天と地と』『ぼくらの七日間戦争』などの音楽も手掛けました。TM NETWORKと並行して、岡田有希子、渡辺美里、中山美穂、松田聖子、小泉今日子、宮沢りえ、中森明菜らに楽曲を提供しました。1986年に渡辺美里へ提供した「My Revolution」は第28回日本レコード大賞金賞を受賞。TM NETWORKは1987年の「Get Wild」で人気を確立し、1988年に第39回NHK紅白歌合戦へ出場しました。1988年にはロンドンに約半年滞在して現地の制作手法を研究し、その後も毎年ロンドンのスタジオで録音・ミキシングを行いました。1989年にシンガーソングライターとしてソロデビューし、「RUNNING TO HORIZON」「GRAVITY OF LOVE」が連続でオリコンシングルチャート1位を記録しました。1989年から1990年にはウォーレン・ククルロとも共演しています。TM NETWORKは1990年にTMNへ改名し、同年7月7日発売の「The Point of Lovers' Night」も1位を獲得。1991年にはX JAPANのYOSHIKIとV2として共演し、TMNは1994年に終了しました。

1994年〜1997年:プロデューサーとしての成功

1991年頃にエイベックスの松浦勝人と出会い、ダンスミュージックを大衆へ広める方法を探り、1992年からDJとして全国を回り、オオーディションの審査員を務めるなど試行錯誤しました。個人事務所「OPERA GIG」(後のTK state)を設立し、プロデューサーとして活動します。1990年代半ばにはTRF、篠原涼子、hitomi、内田有紀、H Jungle with t、華原朋美、安室奈美恵、鈴木あみらを手掛け、「小室ファミリー」と呼ばれる社会現象となりました。1994年にはアニメ映画『ストリートファイターII MOVIE』の音楽を担当し、篠原涼子 with 小室哲哉による主題歌「愛しさと切なさと心強さと」は200万枚を超えるヒットとなりました。制作にはPWLのミックスエンジニア、ピート・ハモンドとデイヴ・フォードが協力しました。浅倉大介の躍進にも寄与しています。1996年にdosを結成し、1997年には米映画『スピード2』の主題曲リミックスで海外活動を開始しました。

1998年〜2007年

globe、Kiss Destination、Gaballなどに参加し、ソロ作品も発表しました。1998年12月31日、globeの「Wanna Be A Dreammaker」が第40回日本レコード大賞でグランプリを受賞。1999年にはTM NETWORKが再始動し、現在も活動しています。1998年から2001年にかけてフランスのジャン=ミシェル・ジャールと共作し、1998 FIFAワールドカップのテーマ曲「Together Now」などを制作、2001年1月1日には沖縄の海岸でコンサートを行いました。2001年にKEIKOと結婚し、2007年12月からEmpire Play Musicに所属しました。

2008年:詐欺事件

2008年11月、JASRACに登録された自身の楽曲806曲の著作権を10億円で譲渡する契約を結び5億円を受け取りましたが、著作権はすでに出版社などへ譲渡済みで、詐欺容疑で逮捕されました。2009年3月にはエイベックスの松浦勝人社長が被害額を弁済し、同年5月11日に懲役3年、執行猶予5年の判決を受けました。判決では責任を認めたことや弁済がなされたことが考慮されました。

2009年〜2020年:復帰

2009年8月22日、エイベックスのa-nation 2009にサプライズ出演し、ヒット曲のメドレーをピアノで披露。globeのマーク・パンサー、KEIKOとも再会しました。

音楽性

クラシックのヴァイオリン教育と独学の鍵盤を基盤とし、キース・エマーソン、リック・ウェイクマン、キース・ジャレットらや、プログレッシブ・ロック、ファンクなどの洋楽から影響を受けました。シンセサイザーとプログラミングを駆使したダンスミュージック、ユーロビートやトランスを取り入れ、「主旋律は1本、単音を目立たせる構成」を基本としています。カラオケでもディスコでも楽しめる楽曲という発想を持ち、作詞・作曲・編曲・プロデュースを包括して時代を築きました。